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2016年11月 1日 (火)

岡山城・岡山後楽園へ(その1)

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岡山城へ
毎年恒例のお友達と小旅行
今年はそれぞれの事情で近場へ行くことになった ほぼ同年代(!)の3人組 他愛無いおしゃべりに花が咲く 初めて見る岡山城 外観は幾何学的な印象で 近代的にも見える

岡山城は 別名「烏城」「金烏城」
築城年 1346-1369年
廃城 1873年(明治6年)
1945年6が29日の岡山空襲で天守・石山門を焼失 1964-1966年(昭和39-41年)天守を鉄筋コンクリートにて再建 宇喜多秀家当時のイメージで再建されている
岡山の市街地の元となった岡山城は 宇喜多秀家が1597年(慶長2)に築城した後 江戸時代には岡山藩の城府となり 明治維新により廃城となる

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「月見櫓」 廊下門への石段より眺望 昭和20年の岡山空襲の焼失をまぬがれたのは この月見櫓と西手櫓だけです 残念ながら西手櫓は時間的に見ることができなかった

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「廊下門」 上屋は本段(住居)と中の段表書院(藩庁)を結ぶ城主の通路として使われた 昭和41年に鉄筋コンクリートで再建された

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廊下門を潜ると右手に「月見櫓」が見える 隅櫓と言われる 1620年代(元和年間から寛永年間前半)池田忠雄が城主の時に建てられた
構造は 一部地下付きの二階建てで 城内からは三層の層塔型 一階床下は貯蔵場所で 一階の床張りが引き上げ式の戸板となっていて 有事の際にはそれを開いて一階に通じる仕組みです 二階は 日常生活向きの仕様となっていて 月見をしたり 四季の眺望を楽しんだり 小宴を催すのに格好の構造となっています
月見櫓の左側には「数寄方櫓」がありました 白壁塗りの三階建で 表書院の数寄屋(茶室)で使う茶道具類が保管されていたのではないかと思われます(案内板より)
その前方には 泉水が湧出る池がありました

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平成5年の発掘調査で見つかった 地中に埋もれていた石垣が展示されている
今から400年あまり前 宇喜多秀家が岡山城を築いた時の石垣です 自然石をほとんど加工せずに用いるのが特徴です
それから30年後の石垣は 新式の割り石を使っている 豊臣時代の築城時は「野面積」(のづらずみ)~江戸時代初頭「打込みハギ」~その後「切込みハギ」と各時期の石積みが見られます 特に本丸段の野面積による高石垣は この時期の全国有数の遺構といえます

岡山市 10月29日撮影




   



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コメント

Bell3 さま

コメント有難うございます イケメンの武将宇喜多秀家の岡山城 戦国武将として波乱の半生 その後半の八丈島での生活はどうだったのでしょう 人間的にも好印象だったそうで 84歳まで長生きできたのは地元の人達と上手く溶け合っていたのでしょうね

ブログの件 今朝のメールで初めて知りました 引っ越し先を考えなくては~livedoorblogを拝見しました 画像が綺麗でした 参考にさせていただきますね  

豊臣家の五大老だった宇喜多秀家も、関ヶ原の敗戦で没落、最終的には八丈島に流されて84歳で亡くなりました。この時徳川幕府は4代将軍・家綱の時代でしたから、関ヶ原の戦いを経験した武将の中では、長生きした人でしたね。

さて、こん近様も御承知のように、eoblog が来年3月末をもって閉鎖となります。詳しくはこの画面の左サイド最上部をご覧ください。私は夏頃よりeoblogがブログ事業から手を引くのではないかと懸念していたのですが、とうとう現実になりました。閉鎖されますと今迄の記事はすべて消滅してしまいますので、他社のブログに引っ越しされる準備を整えられることをお勧めします。私は既に他社ブログと契約して、今迄の記事や写真を引っ越ししました。

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