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2016年3月31日 (木)

コブシが咲いた

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麓の川向こうに小山がある
コブシの花が咲いた
白絵具を散布したかのよう
競演する山桜は
ほんのりピンク色
気温が急上昇 
一気に桜の開花なるか
長~く楽しみたい
花冷えがあっても良い
心と体の葛藤
菜の花は今が盛り
気を惹くノジスミレ

鳥取市 3月下旬撮影

京都を歩く(13) 大徳寺 塔頭

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「三玄院」  通常非公開
石田三成が浅野幸長、森忠雅政らと建立した寺院
境内墓地には石田三成、森忠政(蘭丸の弟)、古田綾部、薮内剣仲の墓があります

この塔頭は拝観が許されることはほとんどありませんが 千利休ゆかりの茶席などが催されることがあります








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「大仙院」 拝観可能
大徳寺山内塔頭の中でも特例別格地とされています
創建 1509年 大徳寺76世住職大聖国師 古岳宗亘禅師
開祖の古岳宗亘和尚は後柏原天皇や多くの公家、武将から帰依された名僧です その後も多くの名僧を輩出し 7代の沢庵宗彭和尚は「沢庵漬け」でその名を知られています
多くの重文財の中でも 特に襖絵は室町期の名作障壁画で相阿弥の山水画、狩野元信(狩野派2代目)の花鳥図、狩野之信(元信の弟)の四季耕作図などがあります

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霊山 「徳禅寺」  通常非公開
開山1世徹翁義亨(てつとうぎこう) 大徳寺と別に開山したのが始まり
寺前に池をもち 池中に山を築く 山上に玲瓏閣竹影閣等があり 舟で往来する など広大な寺域をもつ大寺院であった 応仁の乱(1467-1477)で焼失 一休の帰依者である泉州堺の貿易商 祖渓宗臨が現在地に再興した

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「龍源院」  拝観可能
能登の畠山義元、豊後の大伴義長らが創建
重要文化財に指定されている方丈、唐門、表門は創建当時のままで 大徳寺内でも最古の建物です
文化財など珍品が多く収集されており 豊臣秀吉と徳川家康が対局したとされる蒔絵を施した碁盤や もともと聚楽第にあった阿吽の石庭があります 長谷川等伯の作といわれる「猿猴図」があります 参道のお庭をちょっと拝見しました

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「真珠庵」 名勝真珠庵庭園  通常非公開
一休禅師を開祖に建立された 方丈内部の襖絵は室町、桃山時代を代表する曽我蛇足、長谷川等伯の作品とされています
石組みの配列から「七五三の庭」と呼ばれる庭が方丈の東にあります

大徳寺の塔頭 興味深い歴史や文化が凝縮されている 季節を変えて再訪問してみたい
総見院(非公開)には立ち寄れなかったが 織田信長以下 織田家の墓が立ち並ぶ

京都市北区 3月16日撮影

2016年3月30日 (水)

京都を歩く(12) 大徳寺 芳春院

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「芳春院」 山門
大徳寺の塔頭の中で最も北に位置する 通常は公開されていない 今回は「京の冬の旅」編です

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長い参道を行くともう一つの門「芳春院」と書かれています
慶長13年(1608) 加賀藩主 前田利家の正妻まつが創建した前田家の菩提樹
開祖 玉室宗珀(ぎょくしつそうはく) 平成28年400年遠忌を迎えるまつの法号から「芳春院」の寺名がつけられた 寛政8年(1796)の火災により創建時の建物は失われたが 前田家11代 治脩(はるなが)により2年後に再興されている

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庫裏 「護国禅窟」
前田利家の妻「まつ」さんのこと 
父(尾張国 篠原主計) 母(父没後 高畠直吉と再婚) 母の再婚により 加賀の前田家に養育され 前田家四男 利家に嫁ぎ 2男9女を産みました 1583年賤ヶ岳の戦で利家が柴田勝家方に与し敗走した際には 秀吉と勝家の和議を講じ利家を救った 三女の摩阿姫は秀吉の側室になった 1599年利家没後 出家し「芳春院」となりました

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「花岸庭」 方丈前庭
本堂南庭にあり 白砂が広がる枯山水庭園で 山深い渓谷から流れ出る水がやがて湖に注ぎ 大海に帰るという山水の様を表している

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 庭園の一角 

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「呑湖閣」(どんこかく)
本堂北側に建つ優美な二層楼閣は 閣上から比叡山を東に望み その向こうの琵琶湖の水を飲み干すという意味を込めて名付けられた 金閣寺・銀閣寺・飛雲閣(西本願寺)と並んで「京の四閣」とも称される(内部非公開)
前田利家の子 利長の依頼により 玉室和尚に参禅していた医者・横井等怡と 茶人 作庭家また武将・小堀遠州によって建てられた 「飽雲池」とそこに架かる「打月橋」とともに見事な楼閣山水庭園が築かれた 現在の「呑湖閣」は文化10年(1813)に再建されたもので 上層部に前田家の先祖とされる菅原道真を祀る 下層部には 玉室和尚の師 春屋宗園の木像や近衛家の位牌などを安置している (撮影禁止のためチケット画像)

現地ガイドによる詳しい説明を聞きながら拝観しました
本堂には 本尊・釈迦如来像や玉室宗珀の木像が安置され また芳春院(まつ)の木像や前田家歴代の御霊牌が祀られている
大徳寺・芳春院は楽しみにしていたので 心静かに拝観できました
その他の塔頭寺院は門前を素通り その歴史的な触りだけでも調べてみよう

京都市北区 3月16日撮影

2016年3月29日 (火)

京都を歩く(11) 大徳寺

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「大徳寺」
伽藍は 勅使門、山門、仏殿、法堂がほぼ一直線に並び これら中心伽藍の北・南・西に20ヶ寺以上の塔頭寺院が並ぶ その塔頭の一つ「芳春院」へ向かう 総門をくぐり一番奥になる

臨済宗大徳寺派大本山
鎌倉時代末期の正和4年(1315)に大燈国師宗峰妙超禅師が開創 室町時代には応仁の乱で荒廃したが 一休和尚が復興 桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み 信長の菩提を弔うために総見院を建立 寺領を寄進 それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めた
江戸時代初期建立の方丈は8室に分かれ 内部を飾る障壁画は狩野探幽の代表作で 余白を多く用いた水墨画です

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「山門」(金毛閣)
芳春院までの建造物を眺めながら歩く この「山門」は二層で 享禄2年(1529)宗長(連歌師)の寄進により まず下層のみ竣工し 天正17年(1589)千利休が上層を完成させて「金毛閣」となづけられた
利休の恩に報いるために 寺は上層に「雪駄を履いた利休の木像」を安置したが このため門を通る者は利休の足下をくぐることになり これが豊臣秀吉の怒りを買って利休切腹の一因となったと伝わる

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「法堂」
寛永13年(1636) 小田原城主稲葉正勝の遺志により 子の正則が建立した 天井に描かれている「雲龍図」は狩野探幽35歳の作です

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「仏殿」
寛文5年(1665) 京の豪商 那波常有(なわじょうゆう)の寄進で建てられた

 








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仏殿の「天井絵」
色が剥がれてはっきりしないが「飛天」だとか 天を舞う様子が描かれています いづれ復元されると良いのですが~!

寺院拝観の楽しみの一つには 仏像などの他襖絵や天井絵など 普段は見られない非公開物件 撮影禁止の所もあり ましてや記憶に乏しい できれば何度か訪ねてみたいものです

 

 


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「勅使門」
山門前にある 前後唐破風 左右切妻 屋根桧皮葺の四脚門 後水尾天皇より拝領したと伝えられる 平成12年 屋根等修復

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「芳春院」へと向かう 
参道わきのトサミズキ
ほっこり春到来

京都市 3月16日撮影









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2016年3月28日 (月)

京都を歩く(10) モネ展 観賞

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「モネ展」へ 市美術館(左の建物) 3.1~3.21日
モネの生涯を辿る奇跡のコレクションが約90点 「印象、日の出」から「睡蓮」まで
クロード・モネ(1840-1926)は 86歳で亡くなるまで多くの作品を発表した 作品は 息子ミシェルによるマルモッタン美術館に遺贈された
モネが10代後半に描いた 妻や子供たちを描いた作品など そして晩年の「睡蓮」や「日本の橋」など また 生前には公開されることがなかったという晩年の作品は 本展の最も充実した作品群となっている
印象に残る作品の数々 特に晩年 妻子と死別後 白内障を患いながらも意欲的な作品を描きあげた これまでの繊細な色調とは異なり荒々しいタッチで鮮烈な色調は力強さを感じ その情熱が衰えなかったことを思わせる 心で観る癒しのひとときでした
この後 大徳寺・芳春院へ向かいます

京都市美術館 3月16日撮影

2016年3月27日 (日)

深山の春は~!

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深山渓谷には残雪 青空は見えるもののヒンヤリ 厚い上着を着込んで散策する
木々の新芽はまだ硬くしっかりガード やや裾では このところの暖かさで誇らしげに開花しているもの と様々 足元には初々しいフキノトウ ようやく春がやってきた 
んん? 麓で見られない小鳥2羽が目の前の梢から飛び立った 何の鳥だろう?

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先日は別の場所でフキノトウを採る
まだかまだかと待ちわびていると あっと言う間に一斉に噴き出した
近所や友におすそわけ
冬籠り状態の体に活を入れる
山の幸に舌つづみ




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フサザクラ(房桜)
湿気が多い谷沿いや渓流沿いに多い
赤い房状の花が咲く 葉が出る前に 花が枝につく様子は 樹全体が赤くなり この時期に目立つ
花が終わると葉が茂り緑一色となる

但し まだ半開 もう少し待とう

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ミツマタ(三叉)
ジンチョウゲ科
ミツマタ属
中国中南部・ヒマラヤ地方が原産地とされる
皮は和紙の原料になることは知られるところ
早春の林縁を彩り  訪れる人を惹きつける
鮮やかな黄色いボンボン 自然に頬がゆるむ

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マメザクラ(豆桜)
バラ科 サクラ属
桜の野生種の一つ
樹高も大きくならず花も小さい
早春の小さな桜花に 小さな喜びをいただく






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ダンコウバイ(壇香梅)
クスノキ科 クロモジ属
早春に咲き 花も黄葉も美しい 庭木としても植樹
山地で出会うとひとしおの喜びを感じる




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キブシ(木五倍子) キブシ科 キブシ属
この花は地味な色合いながらも早春の山を彩る 花が終わるころに葉が展開する 
枝から垂れ下がる花序が 微風に揺れる様は詩的でもある

鳥取市 3月下旬撮影

京都を歩く(9) 平安神宮

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「平安神宮 大鳥居」
高さ24.4mの大鳥居 敷地面積10,000坪の日本庭園である「平安神宮神苑」を含め20,000坪ほどある 

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「應天門」(神門)
平安遷都1100年祭(明治28年 1895)に市民の総社として鎮座 桓武天皇・光明天皇を祀る 「応天門」は 平安京大内裏を模したもの

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パノラマ・中央は外拝殿(大極殿)
「大極殿」
古代の役所の建造物の中で最も重要な建物で 天皇が政務を執られ 朝賀・即位などの重要な儀式が行われた 明治28年 平安遷都1100年記念事業の一環として 平安時代の様式を模して「大極殿」が建築された 規模は往時の約2分の1です 平安時代の栄華を偲ぶことのできる唯一の文化遺産です(案内板より)

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「神楽殿」
神楽の奉奏とともに結婚式等を行う場として建てられたもの

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「白虎楼」
この楼は 東方蒼龍楼とともに平安京朝堂院の様式を模したものです 屋根は 四方流れ・二重五棟の入母屋造・碧瓦本葺が施されている
蒼龍・白虎の名称は「この京都が四神(蒼龍・白虎・朱雀・玄武相応の地)とされたことに因むものです(案内板より)

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「蒼龍楼」
境内の東側にある 平安神宮の象徴的な光景といえば朱塗りの回廊 この回廊により境内と神苑が区別されている

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外国からの団体さん 早朝にもかかわらずガイドの説明に傾聴
日本文化を堪能できる京都は必須ともいえる人気スポット









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Img_2714_22日目の観光は
市美術館「モネ展」へ
開館9時 観賞は1時間半 近くの平安神宮へは自由となった
開館前に寄る
表面的観光でしかなかったが 歴史的建造物としての重厚さを余韻に 急いで美術館へ向かう

京都市左京区 
3月16日撮影

2016年3月26日 (土)

京都を歩く(8) 将軍塚青龍殿

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「将軍塚」
京の都は 「将軍塚」から始まりました 
この地は 京都の中心四条通の真上に位置し 桓武天皇が都を定められる折り 和気清麻呂に伴われ登られて この京都を都とすることをお決めになり 将軍の像に甲冑を着せ埋めて 都の安泰を祈ったと伝えられています 約20m四方の将軍塚が現存しています

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青龍殿と将軍塚 高所からの景観
鳥羽僧正絵巻に 将軍塚造営の絵図が残されています 源平盛衰記には 世の中の異変のある時は この塚が鳴動すると記されています

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庭園には桜・紅葉などの樹木 枯山水庭園 また 大隈重信 東郷元帥 黒木大将らのお手植え松など 歴史を偲ぶことができる場所ともなっています

Img_2687↓ 東郷元帥手植松

Img_2679 ↑ 黒木為楨大将手植松(くろきためもと 陸軍大将)

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新名所を後にして バスは京都駅ちかくの新・都ホテル(宿泊)へと向かいます

京都市山科区 3月15日撮影